○ プロフィール

近代ナリコ

Author:近代ナリコ
著書
『京おんな モダン・ストーリーズ』他。
共著
『ふたりの本棚 ナリコとノリコの往復書簡』
編著
『鴨居羊子の世界』他。

○ 最新記事
○ 月別アーカイブ
○ バックナンバーのごあんない
MJ7号表紙
7号 特集 LOOK! COOK BOOK!
6号 特集 お稽古事事始め
恵文社一乗寺店その他で取り扱い中

○ ナリコの読書クラブ
読書クラブ
古本情報誌『彷書月刊』の連載をまとめた
『ナリコの読書クラブ』(彷徨舎)は、
お取り扱い店を募集しています。
お問い合わせは、 
nebensache75★gmail.com 
↑★をアットマークに変換してください
まで。

○ カテゴリ

2012/01/20//Fri * 20:07
○ 直角三角形のひみつ部屋

 湯島天神むかいの雑貨店nicoの入り口は、大きな一枚ガラスの鉄枠のサッシ戸で、そのとてつもなく重たい戸をひいて中へ入るとすぐに階段があります。ほんの数段で壁につきあたり、折り返してまた数段、さらに右へ折れてまた数段、という、たいへん変則的なつくりの階段を下りきると、そこにはアジアやロシアの雑貨で埋めつくされた地下の小部屋が。
 その、古いマンションの片隅にあるお店のそのまた隅っこで、京都のイラストレーター・ひろせべにさんの展示「ちいさ~なひみつの小部屋展」を観ました。
 下りてきた階段の下にある、人ひとりがようやく入れるほどの直角三角形の空間に展開するべにさんの世界はじつにひみつっぽさあふれるかわいさ。三角形の斜辺、つまり階段の裏側にあたる天井部分には折り紙でこしらえた小さな封筒から顔を覗かせている人物や動物がペタペタと貼り付けてあって、背後の壁面にはこれまたべにさん手製の小さな額に入った絵がいっぱい。そこへミラーボールの輝きが花を添えています。それまではお店の倉庫として使っていたというその場所を空色と白のペンキでリニューアルしたという店主・三澤さんとべにさんの空間作りの妙にしばしうっとりとしました。
 なお、このべにさん展示は小石川のギャラリー・カフェ・橙灯で開催中の「ひろせべに作品展」の連動企画。さらにもう一カ所、春日のロールケーキと喫茶の店・rollでも展示があるとのこと。会期は今月30日まで。

beniDM.jpg


スポンサーサイト





2011/11/12//Sat * 23:49
○ 蝶々の住処

 鶴見俊輔『家の中の広場』(編集工房ノア、一九八二)。この夏から、机と枕のまわりに積み重なっていた住まいや家に関する本のなかにあった一冊ですが、ここで言われている〝家〟とは、住むための家ではない、抽象的な意味合いの〝家〟。
 ここに収められた一文「家の内と外」は、日本の新聞雑誌の身上相談のはじまりについてから話がはじまります。さまざまな分野にまつわる相談のなかでも、家庭の問題についての相談があらわれたのは明治の半ば。以来、大正から昭和の戦前にかけてが、新聞雑誌で身上相談がもっともさかんだったそうです。
 この時代に活躍した身上相談の回答者のなかでも、とりわけて山田わかの経歴に触れたあと、新聞雑誌メディアの出現以前には、中山みきや出口なおといった「自身が家庭の問題に悩んだ主婦として宗教をおこした」女性たちが、身上相談の回答者としての役割を担っていたこと、つづいて、戦後、漫才の世界で身上相談のあたらしい様式がうまれたとして、蝶々・雄二のコンビによるラジオ(のちにはテレビ)番組『夫婦善哉』があげられます。

 「夫婦の問題」の仲立ち役として、司会者が夫婦の話を聞くというスタイルのこの人気番組は、蝶々・雄二が離婚をしたあとにも続いたのでしたが、それは「テレビに向かう人びとは、そこに蝶々の苦労と器量を、雄二のだらしなさと人のよさを見て、この二人に、さまざまの夫婦から身上話をひきだす適性ありと判定した」ためであるといいます。

 蝶々が人びとの心をとらえたのは、自分がそだてた男を他人にゆずり、男が病気になり、死んでゆくのそのはかなさをふくめて彼を最後までいつくしんだ、その人柄によってである。そこには、男を見る時にもその虚飾と失敗をともに見る眼があり、そのようなくだらない部分をふくめておもしろがり、助ける態度がある。蝶々のつくりだす語りの中には、家の中にすえられた眼だけでなく、家からはみだしたもののもつ、家の外の眼もはたらいており、家内主義と家際主義をかねそなえた自在な視点が、蝶々に家庭相談の司会者としての力を与えている。


 蝶々の自伝『女ひとり』には、離婚の発表までの二年間、世間には夫婦のフリをして、コンビを、番組をつづけなくてはならなかった苦労も書かれています。『女ひとり』は、とても好きな本のひとつですが、鶴見俊輔の文章に誘われ読みかえしてみると、そこにある蝶々の「住処」についての記述がやはりこころにのこりました。
 旅芸人としてひとところに落ち着くことなくすごした子ども時代。三遊亭柳枝との結婚時代、劇団の弟子たちがいつも出入りしていた家。柳枝と別れてあと、ヒロポン中毒を脱するために入った精神病院。父親が借りてくれた、雄二とふたりで暮らした「おうどん屋さんの二階」。ようやく生活も落ち着き、ふたりで建てた小さな家、それを建て増ししようというとき、蝶々は最愛の父を亡くし、普請がすんだときには、雄二は別の女性のところへ去ってしまいそこに住むことはありませんでした。
 芸能人が、テレビで豪邸を披露することは今はあたりまえですが、蝶々が手狭になった自分の家を建て増しする、というところを読んだとき、私はなんだか変な気持ちがしました。誰にだって生活の根拠となる住まいがあるのは当然のこと。けれど、ひとところにどっしりと構えられた〝家〟と、蝶々という人とは結びつきにくい。その感想は、「家からはみだしたもの」である蝶々の芸人としてのちからによるものでしょう。

 今ある「住まい」についての問題はつまるところ、家族や家庭の問題であるとは、さまざまな家族論や住居論のなかでいわれてつづけてきたことです。今回のモダンジュースでも、そうした文脈から住まいについてが語られていたわけですが、「家の内と外」のふたつの視点をもった蝶々の住まい遍歴に触れ、自分のなかに設定されていた問題系をこえたところにひっぱり出されていくような気がしました。
 タイトルに〝家〟とあるこの本を古本屋でみつけたのはもう五年ほどまえです。そのときすでに、モダンジュースで住まいについてをとりあげようとのつもりがありました。この本を雑誌作りに直接役立てることはありませんでしたが、雑誌ができあがり、興味は別のところに動いているなか、思わず読みはじめたこの文章に、このたびの特集についてのオチをつけられた思いです。

 さいごに、『女ひとり』のなかで私がもっとも好きな蝶々のセリフを紹介します。この部分は、鶴見俊輔の文章のなかにも引かれていました。ヒロポン中毒を克服し、ふたたび舞台に立つようになった蝶々は、ここではじめて雄二を相方に漫才をはじめるのですが、当時の雄二はまだ素人同然。衣装を誂える余裕もなく、サイズのあわないツルシの服を着せられた雄二は、舞台の上で下を向いたまま、まったくおハナシにならないというていたらくで「こんな難しいものやりとない」。そこで蝶々は雄二をこう口説くのです。

 「そんなやめるなんていわんと、やってくれな困る。私かってあんたになんとか一人前になってもらおうと一生懸命やねンで……。そら稽古のときは、女の癖に、女房の癖に、生意気なと腹の立つ時もあるやろ。しかし芸とはそんなもんや。まだあんたは私が教えるからええ。私は他人に、もっともっときつい教えられ方をしてきたんや。そやから出来るだけ、優しく教えてはいるつもりやけど、どうしても怒るときもある。そんなことでいちいち挫けては、こっちも駄目になる。誰でも初めは素人やないか。こんなもの、坂道を登ってるようなもんや。あんたもしんどいやろけどついて来て――。私のこの手を離さんと。離しなや。離したらあんたは下に転んで落ちるし、私も転んでしまう。離さんとしっかり手を握ってやって行こう。そのうち、きっと、あんたもやれるようになる。そうなったらもうそんな大きな服はきせへん。いまは体のほうから合わさんならん服やけど、もう、ちょっと、辛抱してくれたら、服のほうから体に合わせるよって、頼むからやって――」


 自分の相方にこんなふうに言ってやれるだろうか、という感想を持てたら殊勝というもので、私は、こんなふうに言われてみたいものだなあ、と思ってしまうクチです。

女ひとり

↑ミヤコ蝶々『女ひとり』(鶴書房、一九六六)は蝶々亡き後、
 本名の日向鈴子名義で『ミヤコ蝶々 女ひとり』(講談社、二〇〇八)として復刊。


2011/10/18//Tue * 22:40
○ モダンジュース8号 特集「私の住処」

MJ8

 あたらしいモダンジュース、ようやく完成しました。 
 特集は「わたしの住処」。
 家そのものよりも、それをとりまく自然、自治体やコミュニティのありかたなど、環境への意識が高まりつつあるなかで、住まいについて考えます。

 もくじ

奈良の間借り暮らし・鈴木遥
お布団どこに敷く?・浅生ハルミン
MJインタビュー 近藤祐さん 出口をさがして
   ―集合住宅・ルームシェア・自己所有からの脱出―
人間の巣・坂口恭平
わたしの住まい遍歴・堀部篤史
アンケート わたしの住処 過去・現在・未来
サザエさんの町にて・井口啓子
映画の団地・野村泰弘
再録インタビュー+α 西川祐子さん 
   変化する女と男の関係とすまい:近代から現代へ
わたしの巣・市川慎子
スミレアオイハウスからの成りゆき・萩原修
ぶっくすMJ 住まいとその周辺・篇
Kent Rogowski  “Homes (from memory) 1974-1992”
崖の上より・近代ナリコ
ブンカの溢れる街・井出幸亮

 いつものように、80ページいっぱいに文字がぎゅう詰めです。今回は、本文用紙をこれまでの真っ白い上質紙から、黄みがかった書籍用紙に変えてみました。
 執筆者のみなさんのエッセイも、インタビューも、どれも読み応えのあるものですが、もっともページ数を費やした「アンケート わたしの住処 過去・現在・未来」が私はとても気に入っています。三〇名ほどの方たちに、これまで住んだ家、今住んでいる家、これから住みたい家についてお答えいただきました。ひとつのテーマへの、いろいろな人の経験や考え方の集積は、それだけで一冊にしてみたいと思ったほどです。
 本号は、本日より十月末日まで、京都・恵文社一乗寺店とガケ書房共催の「きょうと小冊子セッション」にて販売されます。イベント終了後は、その他の書店でも販売予定です。もちろんこちらのアドレスへもご注文いただけます。
 モダンジュースを作るの、いったい何年ぶりのことやら、あえて確認しないでおりましたが、恵文社のツイッターに「5年ぶり(!)」とびっくりマーク付きでありました。このイベントへのお誘いがなければ、重たい腰を上げることはできなかったとおもいます。両書店に感謝いたします。けれど、モダンジュース、これからは、もうすこしペースをあげるつもりです。どうぞよろしくおねがいいたします。
 


2011/10/03//Mon * 02:55
○ みどりの丘と愛宕山

CA3C0468_20111003024927.jpg

 出先で用事をすませて、そのすぐそばの愛宕山へ寄りました。「二十三区内で最高峰の天然の山」、標高は二七メートル。これも登山にはちがいない……とはりきった矢先、愛宕トンネルの脇にエレベーターを発見。歩きにくい靴を履いていたので、つい楽をしてしまいました。
 エレベーターを降りるとNHK放送博物館の前にでます。前庭にのら猫、白地に茶虎の斑、ベンチにいるおじさんが与えたのらしい、菓子パンの切れ端を食べていました。今日は日曜、行楽日和とはいえない肌寒い曇り空でしたが、山頂にはたくさんの観光の人たち、愛宕神社の社内では結婚式が行われていました。帰りは「出世の石段」の異名をもつ神社の急な石段を下りました。高いところが苦手なので、段の真ん中に張られた鎖をいっときも離さずおっかなびっくりで、傍目にかなり情けない様子だったでしょう。鎖を握ってその手が汗ばむと、口中に鉄の味がひろがる気がする、それを久しぶりに味わいました。
 石段を下りきると、右手に猫じゃらしが生え放題の空き地、一角に古い家屋がひとつ、すぐ後ろに高層マンションがそびえ、そのむこうには東京タワーが見えました。

 松山厳『まぼろしのインテリア』(作品社、一九八五)は、近代以降、めまぐるしく移り変わる住まいのかたちと都市の風景に刻まれた物語と、町の歴史の底に埋もれた人々の感情を掬い上げた六章からなります。そのイントロとして、著者の生まれ育った愛宕山下の昭和三〇年代の様子が記されています。当時は小さな家々が建て詰まり、石屋をしていた著者の家の前の路地には、年に何回か石を積んだ荷馬車がやってきたのだとか。

 不思議な時代の推移。過渡期の異様さを私は見ていたわけである。が、過渡期の異様さならば、現在私が眼の辺りにしている光景、長屋が並ぶ路地の向こうに巨大になクレーンがそびえる光のもおとることはないのではなかろうか。ただ、私たちはその光景を異様なものとして見ようとはしないだけなのではないか。
 やがて、小さな家屋が消え巨きなビルに変る時、私たちは小さな家屋の建て並んでいた町の記憶を脳裡から消していく。このビルの建つ場所にたった三十年前、馬が荷車を曳いていたことを誰が本当のことと思うだろうか。記憶の手がかりにするものがなくなりつつある。
 しかし、私はかつてあった町の佇まいが消えていくことに驚き、単純に懐古的な感傷に浸っているわけではない。建築が時代の要求によって変り、町が変化するのはあたりまえのことである。私が本当に驚いているのは、小さな家屋や路地の後ろに建ち並びつつある巨大なビルが私の記憶の世界と対応しきれないことである。巨きくて、どれも同じように見えるビルは、名称は憶えることはできても、その姿や建ち並ぶ順序が憶えきれない。かっての町ならば切れ切れながらも私の記憶の中にその姿を立ち上らせ、それぞれの建物を順に憶い出すことができる。ところが、現在の町に建つビルやそのビルの中にある飲食店や喫茶店など私に関係のある場所を憶い出そうとする時、一つ一つの場所は点のように頭の中で浮び上っても、それぞれを繋ぐことができないのである。私の頭の中で町は再現されない。私は実感のない町の中を歩いているに違いない。

 この本が書かれた八〇年代はじめ、森ビルによる大規模再開発が、愛宕のすぐそばの六本木と赤坂で本格的にはじまり、愛宕もすっかりオフィスビルが建ち並ぶ町となっていました。今日見た愛宕山のふもとの空き地にぽつりと建っていた家も、風前のともしびなのかもしれません。愛宕山に上るほんの数分前、すぐ脇にある高層マンションから山を見下ろしていたのですが、そのマンションを含む施設の名が〝グリーンヒルズ〟だって! 悪い冗談みたいです。
 愛宕通を挟んだ神社の向かいに、古い商店が数件残っている一角がありました。その並びを眼中に取りこんだのち、薄目になって高いビルは視界から削除、そのままあたりをぐるぐる見まわして、視界を遮るものがなく、愛宕山がこんもりとそびえていたであろう、かつての愛宕の様子を脳内でシミュレートしてみました。この次はちゃんと足で登ろうと思います。

CA3C0476.jpg
↑これは御成門の駅の階段の途中に貼ってある地図の一部です。

 


2011/09/19//Mon * 00:17
○ おさむい!? マンション・ハイツ・ビラ・メゾン……

 来月発行予定のモダンジュースは「住まい」についての特集なので、この夏目についたのは住宅や住まいかたに関する本や雑誌ばかり。先日はこんな記事を発見。

 『暮しの手帖』93号 一九六八年より

暮しの手帖 93号

 ああ日本「おさむい文化」 

 関西という土地は、ときどきよそ者をギョッとさせるような文字がころがっている。
 文化を貸してやろう、とおっしゃるのである。 
 なるほど、当世の日本の文化などは、見わたしたところ、どれもこれも、したり顔の、じつは、どこかの国、いつかの時代の借り物ばかりだし、おむつから電子計算機にいたるまで、貸しましょう借りましょうのリースばかりだから、文化の貸し借りがあったって、おどろくことはないさ。
 などと、いっぱし気のきいたつもりでいると、アホらし、なにいうてんねん、と大阪人にセセラ笑われてしまった。
 〈文化〉とは〈文化住宅〉をつづめていった言葉だそうな。その〈文化住宅〉とはなにかときくに、二階建ての、上下あわせて八室から十二室どまりのアパート、ただし、廊下がむきだしになっていて、どの部屋も、外からいきなり入れるようになっているのにかぎって〈文化〉というらしい。
 むかし、東京のあたりでは、赤い屋根で四畳半の応接間がついているのを〈文化住宅〉といった。屋根の色といい、応接間といい、他人の目を引く仕掛けである。
 外からどの部屋にも、じかに入れる仕掛けは、プライバシーの尊重、他人の目を引かぬ仕掛けだが、東西相異なる〈文化〉、さて、どちらに軍配を上げてもいささかおさむいことではある。

 あわせて 「駐車場つき!貸文化」と筆文字で大書きされた看板の写真。
 ここには、外廊下から各戸に直接入れるのは「プライバシーの尊重」とありますが、それは、共同の玄関で靴を脱ぎ、台所やトイレも共同だったそれまでの集合住宅のスタイルから、各戸に台所やトイレがつけられたということ。したがって廊下や階段を建物内部に作る必要がなくなったということなのでしょう。文化住宅のウリ、その「文化」たるゆえんはこのキッチン・トイレ付きであるところにあったのだと思われます。

 この記事からヒントを得たのでしょうか、その次の号では、犬養道子が「アバード・マンション・ビラ・メゾン」と題し、日本の集合住宅における、ジャプリッシュ=Japlish(日本人以外にはとうてい通じない、あやまった使い方の外国語)によるネーミングを嘆いています。

 新聞をひらいても雑誌を見ても、町の中をほんの五分ばかり歩くだけでも、このごろやたらに目につくのは、さまざまの、考えてみれば不思議な片仮名文字である。「マンション」、「ビラ」、「ハイム」に「メゾン」。そしてとうとう、「シャトー」まで登場した。シャトー(フランス語で城の意)が出現したからには、次には「パレス」もあらわれよう。


 〈パレス〉、あるある! ほかにも〈カーサ〉や〈レジデンス〉、〈アビタシオン〉、〈ペンシオーネ〉なんていうのもありますね。
 西洋では集合住宅=〈アパートメント〉。あちらで〈マンション〉といえば豪華なお屋敷を指すそうで、湖や森、田園や遊牧地をも含む広大な敷地に建ち、迎賓館や礼拝堂までをも有する、本場もんの〈マンション〉を知る犬養さんからすると、町中の集合住宅を指してマンションとはなんともはや、なのだそう。

 これでもかこれでもかと、ハイカラそうな、――というのは即、いまの日本では「デラックスめいた」ことになるのだが――名詞をその名詞の表す意味と全く何のかかわりない事物に、いとみかんたんに冠せることによって、ある満足感(デラックスげな満足感)を、購買者や使用者の心に植えつけようとする、そうした風潮は、もろもろの広告を見てもすぐに感じられるこのごろである。


 大阪の「文化」もまた、横文字でないだけで、マンションやハイツと軌を一にするもの。
 けれど、戦前の〈文化住宅〉が、新興中間層家庭のための新しい住まいの呼び名であったと知ってか知らずか、庶民的なアパートに同じ名をつけた大阪人の商魂には、どこか乾燥したニヒリズムを感じないでもありません。
 ところで、犬養道子の文章のタイトルにある〈アパート〉ならぬ〈アバード〉とは、あまりにも一般的になりすぎた〈アパートメント〉を軽蔑して言ったものなのだとか。明治末から大正期に出現した初期のアパートは、近代的設備の整ったモダンな住まいの代表でしたが、〈アパート〉と呼ばれる集合住宅がどんどん増え、すっかり庶民の住まいとなったとき、それとの差異化をはかるため、〈マンション〉をはじめとするさまざまな横文字の名前が考え出されたのでしょう。

 それはともかく、犬養道子や前出の記事の筆者氏による、『暮しの手帖』ならではの気の利いた文明批評からは、なにやら腑に落ちないものを感じてしまう。
 〈文化〉も〈マンション〉も〈ビラ〉も〈メゾン〉も、当時の「わかってらっしゃる」人たちの「文化的」見地からすれば、そりゃあ「おさむい」でしょうよ! だけど、高級マンションから軽量鉄骨のアパートまで、横文字の冠された集合住宅が依然として廃れることがないこの平成の世で、かつての識者たちが嘆いてみせた寒さの続きを私たちはいまなお生きているのではないでしょうか。



[TOP] next >>
copyright (C) 2006 モダンジュース all rights reserved. [ template by *mami ]
//